大相撲の歴史において、不屈の闘志で幾多の苦難を乗り越え、土俵の頂点を極めた名力士がいます。第59代横綱・隆の里俊英。青森県出身の昭和の大横綱は、選手生命を脅かす重い病を克服し、指導者としても数々の名力士を育て上げたことで知られています。
本記事では、隆の里の激動の生涯や現役時代の輝かしい功績、糖尿病との壮絶な闘いの軌跡、そして鳴戸部屋での熱血指導の真相を解説します。稀勢の里や髙安らを引き継いだ師匠としての素顔や、知られざるエピソードを分かりやすく紐解いていきましょう。
第59代横綱・隆の里俊英の基本プロフィールと大相撲での足跡

第59代横綱・隆の里俊英は1952年(昭和27年)9月29日、青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)に生まれました。本名は高谷俊英。現役時代の体格は身長181cm、体重158kgで、得意手は右四つ、寄り、吊り、上手投げでした。二子山部屋に所属し、昭和50年代の土俵を沸かせた実力派力士です。
本人は生前のインタビューにおいて、「相撲でつとまらなくて中途半端な状態で田舎に帰ったら、周囲から何を言われるか分からない。だから頑張った」と当時を振り返っています。この強いハングリー精神と、泥臭くも妥協のない稽古への姿勢が、のちの大横綱への道を切り拓く原動力となりました。
現役時代の主な実績・経歴年表
隆の里が歩んだ大相撲での主な足跡を、分かりやすく年表形式で振り返ります。
| 時期・年代 | 主な出来事・実績 | 備考・詳細 |
|---|---|---|
| 1952年9月29日 | 青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)で誕生 | 本名:高谷俊英 |
| 1970年代 | 二子山部屋に入門し初土俵 | 厳しい稽古に耐え、着実に番付を上げる |
| 1983年(昭和58年) | 第59代横綱に昇進 | 長年の苦難を乗り越え、ついに悲願の横綱の座へ |
| 1986年(昭和61年) | 現役を引退し、年寄・鳴戸を襲名 | 土俵を去り、指導者の道へ歩み始める |
| 鳴戸部屋時代 | 鳴戸部屋師匠として弟子を育成 | 稀勢の里、髙安、若の里ら多くの関取を輩出 |
| 2011年(平成23年)11月7日 | 逝去 | 享年59。日本相撲界に大きな足跡を残す |
糖尿病との壮絶な闘いと周囲の全面的な支え
隆の里の競技人生を語る上で避けて通れないのが、選手生命を大きく揺るがした糖尿病との闘いです。当時はスポーツ選手にとって致命的とも言える難病でしたが、本人は持病を隠すことなく公表しました。
当時の二子山親方夫妻は、幕下力士としては異例の糖尿病治療用メニューを認めるなど、治療に全面的に協力しました。親方が治療に協力していることが周知されたことで、後援者や周囲の人々も温かくサポートする環境が整い、苦難を乗り越える大きな支えとなりました。
鳴戸部屋における熱血指導の真相と「食」へのこだわり
現役引退後は年寄・鳴戸を襲名し、自身の部屋を興して後進の育成に尽力しました。鳴戸部屋の師匠として、のちに横綱となる稀勢の里をはじめ、髙安、若の里、隆乃若など7人もの関取を育て上げた手腕は、角界でも高く評価されています。
指導者としての信念の根底にあったのは「食」に対する強いこだわりでした。「食事は最高のコミュニケーションであり、きちんとした食事を作っている家庭ならそう曲がった子供は育たない」という持論を持ち、入門した弟子には必ず「お母さんが作った料理で一番好きなものは何か」と尋ねていたといいます。この温かい人間関係の構築が、厳しさの中にも深い愛情がある指導スタイルを形作っていました。
語り継がれる師匠としての素顔と知られざるエピソード
隆の里の妥協なき姿勢は、日常生活の細部にまで表れていました。例えば、2011年7月場所前、自身が育った二子山部屋の宿舎であった寺(当時、花籠部屋が使用)で二所ノ関一門合同稽古があった際のことです。
ランニングシャツにズボン姿でそこに出かけようとした隆の里に対し、妻は「皆さんがいらっしゃるんだから、そんな恰好じゃ驚くわ。襟付きのシャツを着ていけば」と声をかけましたが、彼は譲りませんでした。これは、自身の師匠である二子山が自身の現役当時にしていたのと同様の服装を真似たものであり、先人への深い敬意と伝統を受け継ぐ強い意志の表れでした。
【隆の里】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:隆の里の出身地や本名は?
A1:青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)の出身で、本名は高谷俊英(たかや としひで)です。
Q2:現役時代に克服した大きな病気は何ですか?
A2:糖尿病です。当時は厳しい病気でしたが、自ら病を公表し、二子山親方夫妻や後援会の手厚いサポートを受けて克服しました。
Q3:鳴戸部屋で育てた主な名力士には誰がいますか?
A3:第72代横綱・稀勢の里をはじめ、大関・髙安、若の里、隆乃若など、多くの優れた関取を育成しました。
第59代横綱・隆の里俊英は、己の甘えを排したハングリー精神で過酷な土俵を駆け上がり、糖尿病という大病を周囲の支えとともに克服した不屈のレジェンドです。そして指導者としては、食を通じたコミュニケーションや伝統を重んじる熱血指導によって、稀勢の里や髙安といった次代を担う名力士たちにその魂を継承しました。
隆の里が残した「困難に屈しない姿勢」と「弟子を我が子のように育てる愛情」は、現在の大相撲界においても色褪せることのない、貴重な財産として深く刻まれています。