日本のお正月における最大のスポーツイベントといえば、東京大手町から神奈川県箱根町までの往復路を舞台に繰り広げられる箱根駅伝です。その中でも、特にドラマを生み出し、観る者の心を揺さぶり続けてきたのが往路のクライマックスである「5区」です。芦ノ湖へと向かう標高差800メートル以上の過酷な山登り区間は、数々のドラマと英雄を生み出してきました。その極限の坂道を常人離れしたスピードで駆け抜け、伝説となった歴代の「山の神」たち。
本記事では、初代・今井正人選手、2代目・柏原竜二選手、3代目・神野大地の3名が打ち立てた偉大な記録と、彼らがなぜ「神」と称されたのか、その誕生背景やその後の活躍まで詳しく紐解いていきます。
箱根駅伝の5区「山登り」とは?なぜ「山の神」が誕生するのか

箱根駅伝の往路5区は、全長23.2キロメートル(※コース変更の歴史あり)の中に標高差約860メートルを駆け上がる、世界的に見ても類を見ない過酷な山岳区間です。小田原中継所を過ぎたあたりから急勾配が始まり、最高地点である最高点(宮ノ下・小涌谷・元箱根を抜ける過酷なルート)を経て、芦ノ湖のゴールへと向かいます。
通常の平坦なロードレースとは異なり、登り坂ではふくらはぎや太ももの筋肉に異常なほどの負荷がかかり、標高の上昇に伴う気温低下や酸素濃度の変化もランナーに牙をむきます。この特殊な環境において、疲労困憊の状態からさらにペースを上げ、後続を大きく引き離してごぼう抜きを果たす走りは、観戦者に強烈なインパクトを残しました。この過酷な舞台で常識を覆す走りを成し遂げたランナーたちに対して、メディアやファンから敬意と畏怖を込めて「山の神」という称号が贈られるようになったのです。
【初代山の神】今井正人選手(順天堂大学)の衝撃と誕生背景
「山の神」という言葉が初めて使われ、世間に定着するきっかけを作ったのが、順天堂大学の今井正人選手です。2005年(第81回大会)の5区で、当時としては驚異的なごぼう抜きを演じ、従来の区間記録を3分以上も短縮する大記録を打ち立てました。
当時の順天堂大学は、往路の序盤で苦戦を強いられており、今井選手にタスキが渡った時点では首位から大きく離れた順位でした。しかし、今井選手はスタート直後から驚異的なハイペースで坂道を駆け上がり、前を走るランナーをごぼう抜き。テレビ画面越しに映し出された、苦悶の表情を浮かべながらも一歩も歩幅を緩めない圧倒的な走りは、全国の駅伝ファンの度肝を抜きました。
この激走により、それまで「耐え忍ぶ区間」とされていた5区の概念が一変し、「攻めの山登り」へと戦術そのものが進化することになりました。今井選手は卒業後もトヨタ自動車九州で実業団ランナーとして長く第一線で活躍し、マラソン競技でも日本代表として国際舞台に挑むなど、後進に大きな背中を見せ続けました。
【2代目山の神】柏原竜二選手(東洋大学)が塗り替えた数々の伝説
「初代」の衝撃が冷めやらぬ中、さらにその神話を絶対的なものへと昇華させたのが、東洋大学の柏原竜二選手です。2009年(第85回大会)から3年連続で5区に出場し、驚異的な走りで東洋大学の黄金期をけん引しました。
特に1年生として出場した2009年大会では、前年の今井選手の記録をさらに更新する驚異の走りを披露。強風や寒さといった悪条件をものともせず、平地と変わらないような軽快なフットワークで山を登り切る姿は、まさに異次元の強さでした。柏原選手が走るたびにライバル校とのタイム差がみるみる広がり、東洋大学を初の総合優勝へと導く立役者となりました。
| 大会年(第回) | 選手名 | 所属大学 | 5区記録 | 主な実績・特記事項 |
|---|---|---|---|---|
| 2005年(第81回) | 今井 正人 | 順天堂大学 | 1時間19分16秒(当時) | 「初代山の神」誕生。驚異のごぼう抜きで区間新記録を樹立。 |
| 2009年(第85回) | 柏原 竜二 | 東洋大学 | 1時間17分18秒 | 「2代目山の神」。1年生での区間賞獲得とチーム初優勝の立役者に。 |
| 2015年(第91回) | 神野 大地 | 青山学院大学 | 1時間16分15秒 | 「3代目山の神」。小柄な体格を活かしたピッチ走法で青山の初優勝に貢献。 |
柏原選手の登場により、箱根駅伝の5区は「大会最大のハイライト」として視聴率のピークを迎えるほどのドル箱区間となりました。大学卒業後は富士通に進み、実業団でも活躍したのち、現在は解説者やメディア出演などを通じて駅伝の魅力を伝えています。
【3代目山の神】神野大地選手(青山学院大学)の挑戦とピッチ走法の真髄
今井選手、柏原選手という巨星の背中を追いかけ、新たなスタイルで「山の神」の称号を受け継いだのが、青山学院大学の神野大地選手です。2015年(第91回大会)の5区で、当時の歴代最高記録をさらに塗り替える1時間16分15秒をマークしました。
身長164センチ、体重40キロ台前半という非常に小柄な体格であった神野選手は、前任者たちのダイナミックなストライド走法とは異なり、圧倒的なピッチ(回転数)を武器に急坂を攻略しました。事前の下馬評では「小柄な選手には5区は厳しいのではないか」という声もありましたが、原晋監督の綿密な指導と、本人の徹底的な走り込み、そして何よりも地道な補強トレーニングによってその懸念を完全に払拭しました。
神野選手の快走によって青山学院大学は史上初の往路優勝、さらには総合初優勝を飾り、現在の「青学黄金時代」の礎を築きました。大学卒業後もプロランナーとしてマラソンやニューイヤー駅伝などで挑戦を続け、現在は解説や講演活動など多方面で活躍しています。
「山の神」たちがもたらした箱根駅伝の戦術的革命と進化
歴代の「山の神」たちの出現は、単に個人の記録更新にとどまらず、箱根駅伝全体の戦術や各大学の育成方針を根底から変えました。
かつては「長距離の主要選手を温存する、あるいは他区間で余った選手を配置する」傾向もあった5区ですが、今井、柏原、神野という絶対的な存在が現れたことで、各大学は「5区に特化したスペシャリスト」を計画的に育成するようになりました。標高差対策としての専用の坂道トレーニング、体幹強化、食事管理など、科学的なアプローチが取り入れられるようになったのも、彼らの成功が大きな原動力となっています。
また、テレビ中継においても、5区の山道に中継カメラやヘリコプターが集中し、過酷な自然環境とランナーの表情を克明に捉える演出が定着しました。正月のお茶の間で最もドラマチックな瞬間を生み出すコンテンツとして、箱根駅伝の人気を不動のものにした立役者たちと言えます。
【箱根駅伝山の神歴代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:歴代の「山の神」と呼ばれる選手は具体的に誰ですか?
A1:一般的に「山の神」として広く認知されているのは、初代の今井正人選手(順天堂大学)、2代目の柏原竜二選手(東洋大学)、3代目の神野大地選手(青山学院大学)の3名です。
Q2:歴代の山の神の中で、最もタイムが速いのは誰ですか?
A2:コースの変更や距離の微調整が歴史上行われているため単純比較は難しいものの、3代目の神野大地選手が2015年大会でマークした1時間16分15秒は、当時の驚異的な区間新記録として歴史に刻まれています。なお、その後のコース変更や近年の高速化に伴い、さらに区間記録を塗り替える選手も登場しています。
Q3:なぜ「山の神」たちは卒業後も注目されるのですか?
A3:大学駅伝という限られた舞台だけでなく、過酷な環境で培った精神力や肉体的な強さが、実業団やマラソンといった次のステージでも大きな話題となり、ファンに感動を与え続けているからです。
本記事では、箱根駅伝の過酷な5区を制した歴代「山の神」である今井正人、柏原竜二、神野大地の3名の軌跡を振り返ってきました。それぞれの時代背景や体格、走法は異なりながらも、誰もが不可能だと言われた壁を自らの足で乗り越え、新しい歴史を切り拓いてきたその姿は、今なお多くの人々の記憶に深く刻まれています。
「山の神」たちが残した足跡は、単なる記録の数字以上に、挑戦することの尊さと限界を突破するドラマの素晴らしさを私たちに教えてくれます。今後も箱根駅伝の舞台からは、新たな伝説を纏うランナーたちが誕生することでしょう。その圧倒的な走りと物語の続きに、これからも熱い視線が注がれ続けます。